宮廷養生茶は、病因を除き病を治すること、病気になるのを防ぎ健康を保つことを目標に服用します。歴代の名医によって改良が続けられ、煎じ薬の特徴を保ちながらも、より使いやすく、長期の服用に適したものになってきました。
もちろん万能ではありませんが、現代中国でも単に治療の補助手段としてだけでなく様々な方面で活用されています。
中医研究院の西苑委員の研究者が、宮廷減肥茶に対して4か月にわたる臨床治療効果の研究を行いました。研究の対象者は、初老と老年期の者で、単純性の肥満症や高脂血症などの疾患があり、多くの種類の減量法や高脂血症治療薬の効果が良くなかったために治療を求めて来院したのです。研究者は、宮廷減肥茶を規定量で配合して粉末にし、毎日20gを沸騰水で淹れて与薬しました。患者の状況に応じて服薬回数を調節し、普段のお茶を飲むのと同様に内服させました。服用の期間において、飲食は平常通りとされました。
治療期間の終了後、63例の患者に対して分析がなされました。体重の減少、腹囲の低下、脂質の低下などの方面で、多くの対象者で比較的良い治療効果がみられました。特にβリポ蛋白の改善効果が著しく、研究の対照群に対してP<0.05の有意差が認められました。
これらの結果より、宮廷減肥茶は、脂質の低下とダイエットに関して臨床上有効性を持つことが示されたのです。
以下に著効例を挙げます。63歳の男性患者で、宮廷減肥茶を飲む以前には全身倦怠感や動悸、気持ちの不安定と軽度の胸痛を自覚していました。服用開始の2か月後には、体重は73㎏から68㎏に減少し、腹囲は90.5cmから84cmまで減少がみられました。血中βリポ蛋白は、725㎎%から455mg%に減少し、中性脂肪は285.3mg%から222.58mg%に低下しました。疲労感が著明に軽減し、胸痛も消失し、息苦しさと動悸は時折出現する程度となりました。このような症例は少なくなく、毒性の反応や副作用は認められず、宮廷減肥茶による治療は患者たちに歓迎されました。
宮廷減肥茶は、沢瀉や紫蘇葉など厳選された生薬の組み合わせで作られています。
・紫蘇葉、菖蒲:散風発汗・去暑除湿・理気活血・豁痰開窮。
・沢瀉・山査子:滲湿利尿・通脈消食・体重低下・脂質異常の改善。
特に沢瀉は、「神農本草経」で上品に分類され、「軽身面生光」と記述され、ダイエット効果が強いとされます。
他にも、胃腸や呼吸、エネルギーや気持ちのめぐりを良くする生薬などが含まれています。茶葉と薬物を配合することでシナジー効果があり、茶葉単体よりも効果が優れていると考えられています。
宮廷減肥茶は、中国伝統医学の歴史で積み重ねられた知恵をもとに作られています。生薬の組み合わせにより、ダイエット以外にも大脳機能の調整など様々な作用があると考えられています。
中医の医学書では、体重過多の場合には多湿多痰(水分代謝の異常と溜まった老廃物)が多く、血脈のめぐりがスムーズではないと指摘されています。これは、高脂血症の症状とよく似ています。宮廷減肥茶に含まれる生薬の作用により、湿や痰(老廃物)を除き、血脈のめぐりを良くすることで、脂質代謝やダイエットに効果があると考えられています。
また、茶葉の興奮作用と菖蒲の鎮静作用の相互効果により、大脳機能のバランスが整えられると考えられています。
その他にも、生薬の調整作用により以下の効果が考えられています。
①消化液の分泌が促進
②脂肪代謝に関する物質の吸収を防ぐ
③胃腸の異常な発酵を防ぐ
④消化管内の毒素の発生を抑える
⑤有毒物質の人体への吸収を防ぐ等。
これらの作用により、ダイエットと脂質代謝に関する効果だけでなく、保健と延命に関する効果を発揮するものと考えられています。
「宮廷減肥茶・プレミアム」で使用されているのは、数ある中国茶の中でも最高級とされる茶葉のひとつ「六安茶」です。
ここでは、六安茶の歴史と効果についてまとめます。
その効能は有名で、皇帝に関連した伝説を持ちます。原木の茶葉は政府によって厳重に管理され、オークションでは20gで300万円弱もの値が付いたこともあります。
養生茶の淹れ方は、使用しているお茶や生薬の内容によって異なります。
例えば、宮廷減肥茶はお茶のように熱湯で5分ほどかけて淹れます。
1回分の使用量に対して、熱湯で2-3回淹れるのが良いでしょう。一煎分の養生茶を飲みきったら、再び熱湯を注いでください。
養生茶の淹れ方は、使用しているお茶や生薬の内容によって異なります。
例えば、宮廷減肥茶はお茶のように熱湯で5分ほどかけて淹れます。
1回分の使用量に対して、熱湯で2-3回淹れるのが良いでしょう。一煎分の養生茶を飲みきったら、再び熱湯を注いでください。
六安茶は、宮廷に献上されてきた茶葉です。
特に清の時代には、皇帝が飲む日常的なお茶として珍重されました。
安徽省の六安州と霍山県の両地域で生産された六安茶に関する記載は、遅くとも漢代には確認されています。昔は、霍茶、瑞草魁、仙芽や天柱茶などの名前で呼ばれましたが、明代に六安茶と呼ばれるようになり今に至ります。
明代に、六安茶は宮廷に献上する「貢茶」になりました。清代になっても、浙江省や福建省などといった茶の大生産地と同じように、朝廷は六安茶の産地を重要視していました。清代には、六安茶は「歳進」「年例貢」の二つの方法で朝廷に献上され、茶の品質によって多くの種類に分けられていました。「銀針茶(枝の先のわずかな葉)」「雀舌(葉がまだ開いていないもの)」「梅花片(枝の先の二葉)」などの等級に分けられていたことが確認できます。毎年、皇帝の誕生日、冬至、春節、端午節などの節句の日、他にも皇帝の地方巡行の際などに、総督などの地方官僚の手によって宮中に献上されました。
清王朝の宮廷に献上する「歳進」の六安茶には、特に多くの注意が払われました。献上する量は時代によって変化し、最も多いのは1736年の720袋でしたが、その後は毎年400袋が通例となりました。宮廷に献上する際には、厳格な規定に従う必要がありました。規定通りに梱包し、最後には龍の模様の装飾を施した布で包まれて宮廷に運ばれました。
清時代の六安茶は、皇帝や妃などの貴人が日常的に飲用する代表的なお茶となりました。表面に「六安」の二字が記された茶筒が特別に用いられていました。また、皇帝が外に出かける際には、六安茶は必ず携帯されていました。
多くのお茶の中から、皇帝の日常的な飲み物として六安瓜片が選ばれた理由は、いったい何なのでしょうか?
大きく二つの理由が挙げられます。
六安茶の効能に関して、「続金陵瑣事」の中に次のような記載があります。陳公家の公子が急病になった際、様々な治療が行われました。しかし、効果がありませんでした。孟大夫は、公子は病気ではなく飲酒や乳製品の取りすぎであると診断し、濃い六安茶を飲ませました。すると、公子はすぐに健康を取り戻したのです。この出来事は、六安茶で身体を調節した好例です。六安茶の持つ体の滞りを消す作用は、貴人の健康を保つために活用されていたのです。
六安茶は、宮廷の儀式にも用いられました。外国からの使節に対し、六安茶が贈られた記録があります。また、朝廷の宗教的な活動の中でも六安茶は使われていました。茶は仏像に備える供物の一つであり、お香の中にも配合されていました。
また、六安茶は生薬を配合して養生茶としても用いられていました。六安茶の薬効は唐代の末期には既に知られており、明代にはさらに解明が進みました。消化を助け、脂っこさを除き、体内の食の滞りを打ち破り、食べ過ぎによる胃の膨満感などの症状を除くこと等、六安茶は医薬品のように用いられるようになってきました。それに加えて、生薬として用いたり濃く淹れて飲むなどの方法で、六安茶が病の治療にも用いられることもありました。六安茶を配合した養生茶である宮廷減肥茶は、清の宮廷の中で用いられる薬剤の一角を占めるまでに至り、それに関する記述も多く遺されています。
清時代の宮廷では、茶葉の薬効の知識に基づいて、健康管理の一環として六安茶が日常的に飲まれ、医薬や宗教行事などの多くの領域でも用いられていたのです。
ある時、皇后が病気になり、腹が膨らんで食事ものどを通らなくなってしまいました。様々な治療も効無く、皇帝の命令を受けた太子が薬を探しに旅に出ることになります。その旅の途中、太子は福建省の武夷山で猛虎に襲われていた老人を見て、猛虎を退治して老人を助けました。太子から皇后の病気のことを聞いた老人は、「腹が膨れる時には、あの岩に生えているお茶の葉を飲むと良い」と教えてくれました。そのお茶を煎じて皇后に飲ませると、たちまち症状が良くなりました。喜んだ皇帝は、その茶の木に「大紅袍」と名前を付けました
都で試験を受けるため、一人の学生が旅をしていました。旅の途中、武夷山で激しい腹痛に襲われた学生は、ある寺の住職からお茶をもらって元気を取り戻します。学生は都の試験で見事に状元(一位での合格)を勝ち取り、皇帝にも認められて皇女と結婚しました。故郷に凱旋する途中で再び武夷山に立ち寄り、状元に与えられる大紅袍(紅色のマント)を茶の木にかけて、感謝の気持ちをあらわしました。それ以降、その茶の木は大紅袍と呼ばれるようになったのです3)。
共に大紅袍の茶葉で病気を治療した伝説で、茶葉の薬効が優れていることをほめたたえる内容です。
私は武夷山に4回ほど行ったことがあり、大紅袍の原木も見に行きました。両脇が切り立った谷を奥まで進むと、のぼるのも難しい険しい岩肌に大紅袍の原木が生えています。わずかな雨と川から立ち上る霧で数百年を生き抜いてきた、大紅袍の原木。「岩茶の王」の名は伊達ではない、それを実感できます。
現在は、原木から接ぎ木などで増やされた茶葉が市場に出ています。